昭和42年01月18日 朝の御理解
今、どこの教会でも、全国一斉に寒修行がどこでも奉唱されております。椛目では、まだその、それに合流するところの事が出来んでおりますけれども。椛目はもういつもが修行だからと、私は思いますから、わざわざ寒中だから、わざわざ暑い暑中だからと云うて、そいじゃけん。本当は、やっぱり稽古事の中には、例えば、剣道なら剣道でも、寒稽古と云うのがございますよね。
もう本当に暑い盛り、寒い盛りをものともせず、勇ましい心で自分の日頃稽古しておる、その稽古の道に励むと云うのでございます。寒いからへこたれていない。それが全ての事の稽古に、私、一番大事な事だとこう思うですね。寒いからと、もう家で縮こまっておるという様な事では、寒いから稽古が出来無いて云った様な事では、本当の稽古は出来ないと私は思う。特に信心修行においては、それが云えますね。
今年最大の寒波、最高の寒さと云われております。4.5日の寒さは本当に骨身にこたえる様な寒さでございますけれども。そこんところをです本当にこの有り難く一生懸命で頂かして頂きたい。二代金光様ご時代金光様御結界ご奉仕になっておられる時に、ある御信者の方が四神様、本当にこの寒いのに一日御神勤勿体無うございますと、有難うございますと云うてそのお礼なり、ご挨拶を申し上げる時に四神様が仰った。
年のうちに暑いとか、寒いと云う日が3日とあろうかと仰った。その3日とても、気のせいじゃと、皆さんもご承知の様に、あのご本部、いわゆる、大谷と云うところは、もう、夏はもう愈々暑いところですね。冬は又、いよいよ、寒いところです。あの広い大広前にそれこそ、火の気一つ無いところで、御神勤下さる四神様に対して、本当にこの寒いのに、ご苦労さまでございますと。
御神勤有難うございますと云うてそのお礼を申し上げた時に、四神様が仰られた暑い寒いと云う日が、一年のうちに3日とあろうかと。その3日とても気のせいぞと教えられたと云う事でございます。こりゃもう信心させて頂く者のこう云う様な素晴らしい、暑いも無からなければ寒いも無い。暑い寒いを感じるのは、まだ私の信心が足りんからまだ私の一生懸命が足りんからだという風に頂かして頂くところにですね。
確かに、おかげの受けられる、私は、元が生まれてくると思うですね。そう云う時に、愈々真心を一つに、一心に。私その御結界の、忘れましたけども、有名な話がございますですね。もう非常に山の上に有る町らしいですね、その町のその町全体が、金光様のご信者になられたという程の、ご比礼の輝いた教会。元は京都か大阪で芸妓さんをなさっておられた女の先生。
もう非常に真心の厚い方だったらしいですね。ある寒中に御結界奉仕をなさっておられますと、もうそれから背中がゾクゾクして来る。もう寒さが身にこたえるのですね。その時に、その御結界に奉仕させて頂きながら感じられたんです。寒いなあと、本当に、この私どもこんなに寒いが、神様もまた、もうどんなに寒かろうかとこう思うたら、もう矢も盾もたまらなかった
。すぐ裏に下がられましてから、新しい真綿を出して来られましてね。それから、お扉を開扉されました、お扉を開かれて、そして、ご神璽をですね、その真綿に包まれたと言う事です。そして、御結界につかれたら、それこそ、下から、背中から、何かそのポッポッする様なものを感じられたと云う事です。以来、寒中に寒さを感じた事が無いと云う程のお徳を受けられた方が居られます。
不思議な事ですけれども、その不思議な事が、やはり、不可能ではない、可能であるところに信心の、私は妙があると思うのです。真心限りないと云う事。この寒中に、皆さんが椛目椛目と云うてお参りして見えられるけれど、なる程、皆さんは、そういう意味において寒修行がでけてるんですけれど。そういうその寒さを感じれれば感じられるほどです、有り難いもの、その有り難いものによって、その寒さが薄らいでくる。
いやそれが無くなってくる、いやそれが有難うなってくると云う様なおかげを頂かせて頂くところにです。私は願いが要ると思うんですね。昨日、私、昼の食事を久し振りで父と一緒にさして頂きました。2番目の娘でございます愛子が、給仕をしておりました。もう今日は寒か寒かて云うてから、その給仕をさせて頂きながら云うんです。父がこう云う事を云うのですね、私はそれを聞かせて頂いてですね。
本当にこの素直になれ、素直になれて云うけれどもですね。もうもちろん、素直になれですけども、素直に聞くという事が、どんなに有り難いかという事が判りました。先生あげん云いよんなさるばってんて云う時でも、素直に聞きよらん時です。それどころじゃございますまい、それどころじゃありませんと、頂く時にですね。私はおかげを受けられると思うですね。
父がその愛子に云うてるんですよ、お前どん、今日、寒かかち云いよりますもん。こげん寒かじゃんのちて言うたら、おらいっちょん寒かち思わんち云いますもん、そして、その云う事がです、お前どんは、神様にいっちょんお頼みばしよるめたい、ちこう言います。勿論、昼は寒いけん、暖房入れておりますけども。夜は全然使いません。布団ば沢山着るという事でもございません。
けれどもちゃんと休む時にね、只布団にお礼ばするとか拝むだけじゃいかん。勿論布団も拝まにゃ、布団ば入る時に一生懸命拝まにゃならん。そして、神様にお頼みばせにゃいかん、ち言うてから、愛子に云っとるんです。どうぞ、あのこの寒さの中に、今晩休まして頂くのでございますから。どうぞ、あの寒なかごとお願いしますち言うてから、神様に、おら、お頼みする。だから、いっちょん寒なかち。
だけど、若け者な、寒か寒かち云うとに、どうしてそげん寒なかじゃろか、ちてから云いよるのを、私、その一緒にご飯頂きながら聞かせて頂きながらです。ああ本当に信心とは、これだと思うんです。なぜって、私共が、なんの力も無い、暑い寒いの事ば、自分達ではどうせ、調子加減する事は出来ないのです。 けど、そこにお頼みすると云うですね、手があるという事ですよ。
皆さんが例えば、氷の上を自動車で走って見えられる、それこそ危のうてたまらん。もう危険だからと、とだけではなしにね、本当に、私は自動車を拝むだけじゃいかんて、自転車を拝むだけじゃいかんて、そこに頼まなきゃいけんて。この寒中に今から、椛目にお参りさして頂きますと。どうぞ怪我が無い様に、滑りません様に、どうぞ頂かせて下さいという、素直に素直にそこのところをですね。
神様に頼むという事が、私どもには欠けておったとこう、私は聞かせて頂きました。皆さん、寒中に、皆さんは、私がさあ寒中修行ぞと云わんのに、皆さんはまあそういう事を知らんなりに、こうして寒中修行がでけて居られる訳でございますけれども。なんの稽古事でもです、修行は付きものです、修行が無しには、物事は上達する事はありません。まして、その暑い寒いという時には。
特別に日にちを切って、この熱い中に、または、この寒い中に、それをものともせずに勇ましい心で信心の稽古を、全ての稽古事なら稽古事がなされるという事は、本当にこれはなんの稽古でも、これは当然これは必要だとこう思うのです。もう今日はもう寒かけん止めとこ、これでは信心の稽古させて頂いとる者とは思われん。今日もやっぱ寒いのは寒いですから。
やはり寒じきって道路なら道路が凍て、凍っておる事だけは間違いないのですから、そこんところを私は願うていく、頼んでいくという事。そこに私は寒中修行も、又、そういう本当に有り難い事だなあと。寒い中のはずなのに、寒さも感じず、滑りよけも無いのに、滑りもせずにこうやってお参りが出来、修行が出来るという事が、有り難いという事になって来るのじゃないでしょうか。
寒中にこう修行さして頂いておる、その中にです。やはり今のお話の中に申しましたね、神様のご神璽を真綿で巻かなければ居られないという。自分の寒さから、それを感じずには居られないという。昨日もある方が、お参りして見え、ある方って云うのは、隣の田中さんですけど、晩にお参りして参りましてから、今日は先生、不思議な事がございましたち。もう本当に寒いもんですから。
最近、おかげを頂いて、ストーブを買わして頂いておる。それでそのストーブを、それこそ、神様がお寒かろうと思うてから、神様の前に、神様の方へ向けて、その置いた。そしたら、もう八足にですね、もうビックリする程のおいさみを頂いてから、勿体無いと云うて居ります。神様がもう本当に寒さを感じなさるとは思われない、冷たさを感じなさるとは思われないれどもです。そういうやはり思いなんです、信心とは。そして、私どもが寒い暑いを感ずる時にはです。
それはまだ一生懸命が足りんのであり、四神様のお言葉を借りるならば、暑い寒いが3日とあろうか、年のうちに3日とあろうかと仰る。それが、3日とても気のせいじゃと、寒いと思うから寒いのだと、その一生懸命の働きの上に、そこにお縋がりをする。真心をもって、一心に、お縋がりをするところにです、又、本当にお前だんは寒かつか、俺はいっちょん寒なかがと云う様な不思議なおかげも体験も頂かれていくのでございます。
どうぞ。